雨冠に散
ここ二日ほど体調が良い。
良いといっても、片足跳びをしてみて足が床から離れる事はない。
元気な頃とは比べるべくもない身体能力である。痛みもある。
それでも「今日は良いぞ!」という日には、料理をしようと手芸をしよう、片付けをしようという気にもなれる。
すると、なんだかこのままこんな日が続くのではと思ってしまい、また体調が悪くなったときに失望感は増幅されるのだ。
だから「一喜一憂してはならない」と戒める。
パーキンソン病(以下PD)は完治する事は無く、緩やかに進行して行く。治ることのない病にとりつかれた時、あるいは治り難い病と戦う時、日々変わっていく症状に対して一喜一憂してはならないと、教えてくれたのは娘の主治医だ。
PDの厄介なところは敵が幾つもあることだ。
1つはPDという病そのもの。その他に、罹患後数年経って現れる薬の副作用。
そして病が引き起こす種々の疾患。加えてDBSという脳を刺激する装置が入っている者は、その副作用。最後にこれは誰にでもあることではあるが加齢によるもの。
敵が見えない。
でも「一喜一憂しない」「これでよし」とする。
腰を据えて病と向き合っていこう。今やっとそんな心境にたどり着いたように思う。
昨日は久しぶりにタティングレースをし、料理もした。
ああ、こんな日が続けばいいのにと思いながら、暮れの今頃には計画表を作り、ブルドーザーのように力強く一つ一つこなしていた日々を思い出した。
もうあの時代が終わり、夫と二人、何もしない暮れ。一日は長く、ゆっくりと過ぎて行く。これでいい。
閑吟集のこの歌が好きだ。
世間(よのなか)は霰(あられ)よなう 笹(ささ)の葉の上(へ)の さらさらさつと降るよなう (231)
【訳】この世は霰、笹の葉の上に降りかかる霰みたいなものよ。さらさらさっと、降っては過ぎ去ってしまう。