砂時計のように
若者は一日が終わるのを早く感じ、一年が遅い。対して老人は一日が長く一年が短いということを耳にしたことがある。
勿論個々のことを言えば生活の仕方と関わることであるから、年齢に関わらず逆の感覚の人もいることだろう。
私がそれを聞いた時は、たまたまなるほど!と膝を打つタイミングだったのかもしれない。それ以降、この感覚が逆転することがないのだ。
長い。一日が長い。もうどんどん長くなっている。
病を得るまでは一分を惜しむように動いていた。
子育てが終わり、親達を見送り、明日終わるかも知れないけれどとりあえず長い一日を手に入れた。
早寝早起きが習慣になっている。
4時には起きて7時には横になっている。うとうとして目覚め、目を開けるとまだ日付けが変わってなかったりして。
脱力。脱力を超えた脱力。
夜も長いのです。
何度も起きてワイン飲んだり入浴したり、テレビ観たりして何とか朝を迎える。
今年の正月に五年一覧カレンダーを部屋に貼った。
過ぎて行く「時」を目で追えるように。過ぎて行く時間を意識したくて。
ひと月終わるとシールを一枚貼っている。
もうじき一列が終わる。
砂時計のように、シールは今年の日にちを覆った。やっぱり早かったなあ、一年が。早過ぎたなあ。
ふと、「でも来年このカレンダー外すかも」と思った。