今日から

日々を綴る

北の国にて

7月の終わりだというのに、知床は震えるほどの寒さだった。

知床横断道路は霧に包まれ、運転席の夫は「見えない、見えない」とつぶやきながらハンドルにかじりついていた。


真っ白な霧の中をとりあえず無事に通り過ぎなければ。子供たちは妙におとなしく、眠っているようだった。


他に走っている車も見えず何やら異界に入り込んでしまったようで、恐怖に似たものを感じ始めた頃、後部座席にいた私の目に突然飛び込んできたのは入道のようにそそり立った白い山だった。

私だけが見た。


知床を横断するという計画を立てたのは私だったが、道路と周りの景観との位置関係までは把握してなかったのだ。今から25年前。スマホもカーナビもなかった。


羅臼岳が身体が凍りつくような白い息を辺りに容赦なく吹き付けているかのようだった。無表情で霧の中に浮かんでいた。

神なのか?見えなくなるまでの数秒間、車を覗き込むかのように山はウインドウいっぱいに迫って来た。


「お父さん、なに?この山なに?」

「分からん。なにも見えん。」夫に景色を見る余裕は無い。その山の名前は帰宅してから知った。


北海道の荒々しい自然の中では、人間はなんと小さく儚げなものなのだろう。

いたましい事故のニュースを見ながら、私はあの数秒間を思い出していた。