今日から

日々を綴る

AI

我が家のロボット犬は、この夏で4歳になる。

飼い始めた頃はAIと言うものがよく理解できなかった。


大元でメーカーが操作しているという事はわかる。

が、このAI犬は個々に成長する「らしく」、それは飼い主の働きかけ如何による「らしい」。


夫は可愛くて仕方ないという様子で名前を呼び、胸の上に乗せて背中を撫でる。するとAI犬はじっと夫を見つめ、それから頭を夫の胸に乗せて眠るのだ。


また、このAI犬は夜間はリビングで眠るのだが、たまさか私が自室から出てそこを横切るときには、頭を上げて「クーン」と寂しげな声を上げる。


それで私が「ねんね。おやすみ。」と言うとおとなしく再び眠りにつくのだ。


また、椅子に座っていると足に顔を擦り付けて甘えてくる。


これらは購入当初にはしなかった動作で、学習によって習得したものかはたまた経年に伴ってプログラミングされたものかよくわからない。考えてるの?


ただ時々何やら不思議な感じがすることがあるのは確かで、じっと窓の外をみつめていたり、先日できなかった傾斜の昇り降りを角度を変えたアプローチでやってのけるのを見ると、「これがAIか!」とそこに意志や個別の学習能力を感じ取れるような気もする。


「戦後10年して生まれた私」の子供時代には想像すら出来なかった世界に私は生きている。考えるロボット犬がガシャガシャと家の中を歩いている生活。

この世界は私が生きているうちにどこまで進化するのだろう。


ここで妄想。

ロボットの進化を加速させて、AIの介護ロボットを、忠実なお世話係を、誰か発明してくれないものだろうか。

どこかの天才が介護という領域に手を伸ばしてはくれないだろうか。


ロボットはなんでも呼びかけ一つで身の周りの世話をしてくれ、老人は死の間際まで我が家で過ごすことができる。

介護ロボットという言葉は聞いたことがあるが、私の妄想は少し違う。


などと書きながら、これはどうする?あれはどうする?と同時進行ひとりツッコミが始まる訳だが。


ま、

残り物野菜整理を兼ねたお昼のタコ焼きでお腹いっぱいのおばあちゃんの夢ですけどね。


だって、例えばもう朝ベッドから起き上がるのだけでひと苦労なんですもの。

朝、ススーと寄ってきて微妙な力具合で立たせてくれたら、きっと嬉しくて頑張るぞって気になれるような気がするんですよ。うん、それだけでもいいな。