今日から

日々を綴る

退院して

今回の入院目的は、DBS(脳深部刺激療法)の5年経過の状況を調べるためだった。昔はそれこそ15年で寝たきり20年で終わりと言われた病気らしい。

それが今や投薬に加えて、外科的療法を受けることで状況は違うものになっている。私の場合は、薬が効きすぎればリモコンで体に流れる電流の量を減らし.逆であれば電流を強める。1時間か2時間おきの投薬と、この電流の操作で私の体は動いている。


「大変よくコントロールされていますね」と主治医は言われる。しかしオフになれば足が動かなくなるし、少し前までしびれと痛みに襲われて身の置き所どころがないかともあったし、街を1人で歩くことは転倒が怖くてできなくなった。病気は進行していることに間違いはない。


今回の入院では、薬とDBSの効果を排除したときの状況を作り出して調べる。日帰りの外来でそれをする勇気がなかったので、入院での検査をお願いした。


物事を悲観的に考えるのが私の性格で、力強く乗り越えられるであろうことに対しても、それを心配の塊にしてしまう。エンジンを抜かれた私はどんな形で横たわりどんな苦しみに襲われるのだろうか。不安は日に日に膨らんでいく。


病棟で看護師さんに「大変でしょうが、私たちで支えますから、できるだけのことをしますから、頑張ってくださいね」と励まされる。先生には「検査が終わるまで辛いでしょうが」と言うような言葉をいただく。


意識のある中で、自分の頭蓋骨が砕かれる音を聞くよう手術を受けた私だ。耐えられない事はないだろうと臨んだのだが、正直怖かった。優しい言葉で余計にすくむ。


結果は、「あれ?」「終わりですか」

「そうです。先ほどのが〇〇さんの病気の最も辛いレベルです。」正確には覚えていないが、そのような意味の先生の言葉があった。

私は、丸腰の何も持たない自分を割と呆気ない形で見たのだった。


すぐに点滴が入り、すると激烈ではないが、私を短時間苦しめていた塊のようなものが消えていくのが分かった。敵が見えた気がした。


この5年間、常に「DBSは効いているのか。ある意味このリスキーな手術を受けた事は正しかったのか」と言う思いが、心のどこかにあった。

加えて、この大学病院の先生方はどの方も紳士的で学究的である。私の主治医が明るく笑いかけてくださるようになったのは、随分と時間が経ってからだった。


笑わない。微笑まない。真剣に私の体をテストし数字を見て処方する。その繰り返しの中で心の片隅に育っていったのは「私は先端医療のモルモットではなかったか」と言う思いだった。


今回の入院ではコロナ感染を避けると言うこともあり、病室でのテストが行われたので、ゆったりとした時間が流れていた。


先生と話した。先生が微笑んだ。人間的な表情の中に患者を上から見るのではなく、一緒に闘いましょうと言う気持ちが感じられた(ような気がした)。


そして私は家に帰った。

相変わらず転倒する。

「キャー」「わああああ」どうしても声が出てしまう。ばあさんの絶叫。

「どうしたどうした」とじいさんが飛んでくる。繰り返されるドタバタ。


一昨年、肩の筋肉は切ってしまったが、大きな怪我はそれだけで済んでいる。コケても日ごろの運動のおかげか大怪我にならないように受け身ができる。ような気がしている。


これからの5年間を大切に周りを暗くすることなく生きていこうと思う。そんなことを思わせてくれた四日間だった。

それと、敵は見えたぞ。待ってろよ、ってね。