今日から

日々を綴る

いもうと

数十年という長い自宅介護生活を終え、両親を施設に送った義妹。

「取り憑かれたように毎日片付けてるよ。」と弟がメールして来た。


夜、「オムツを換えて閉店でーす。おやすみなさい。」と私の脳天気なメールへの返事の終わりにサラッと書いてくる人だ。


本当によくやった。尊敬している。弟も含めて。

「もう入ってもらわないと、自分達の生活もありますから」最後はそんなことを言ってはいたが、では今清々しているかというというと否であろうと考えている。

親はこの家に帰らない。それを決断したのは自分である。弟のことも慮ってというのもあっただろう。退職後も二人の生活の中心には介護があったから。

今、義妹は親の部屋を片付けながら「これでよかったんだ」と繰り返し言い聞かせ、自分をリセットしているのだろう。


私の母は膵臓癌で他界したがずっとひとり暮らしで、分かった時には余命5か月と言われ、うちから病院に通い、最期はホスピスで迎えた。

介護の間も無く、見事というしかない幕の引き方だった。

が今でもあの別れ方でよかったのだろうかという思いが10年近く経っても、ふと心に浮かぶ。


親をどう送るか答えは一つではなく、また自分が出した答えに苦しむこともある。どんな気持ちでいるだろうと案じながら、1か月近く経ってまだメール出来ずにいる。