今日から

日々を綴る

写真

終活と言う言葉そのものを使わなくても、人生の終わりについて夫と話すことがある。

距離を置くようになった娘たちとの関係、家の事、お墓の事、介護の事、一人になった時のこと。


夫は「なるようになる、なるようにしかならない」というのが信条らしいが、そうも言っていられないのではないかと、機嫌の良い時を見計らって究極のせっかちは「どうするの?」と投げかける。


良い空気の中にいる夫に寂しさを纏う現実を突きつけるのは本意ではない。でも残された時間には限りがある。

結局私が動かない夫に業をにやして勝手に動き、夫が動かざるを得ないところに追い込むというのがいつもの流れ。


結果の良し悪しは半々で、夫の「待つ」が正解であったことに平伏すこともあれば、私が動かなければ辿り着けなかったこともある。(と思うけど)


価値観の違いがすり合わせ不可能であることは最早自明の理であるけれど、せめてその理を剥き出しにせずに、穏やかになだらかに準備をしていきたいと思うこの頃。


所でそんな終活関連談義(!)の中で、遺影について話して、ちょっと反省したこと。


ドレスアップしてメイクした写真を用意している人、毎年撮っている人の話を振った。


私自身はそんな体力はないし、自分らしい笑顔が出ているものを探しておこうと思っていたが、夫がこんなことを言った。


「福井のヒスイ海岸で、杖振り回して走って、子供みたいに石を拾ってた写真、あれ、いいな。」


夫が定年退職して、私の体が動くうちにあちこち旅行しようと決めていた。その2年目、荒波が砕ける日本海の海岸で見つかりもしないであろう翡翠の原石を探して、石を握りうれしそうに夫に駆け寄ったときの1枚。


ご冗談でしょう。ずいぶん前のことでまだ髪も染めている。若さも残っている。と思いながらじっとその写真を見た。


そして思ったこと。

あれから以降こんな風に笑ったことがあっただろうか。

体がしんどいとなかなか笑えない。

泣いたり怒ったり押し黙ったり。

勿論夫の言葉に対する反応でもあり、喧嘩両成敗としてほしい面もなくは無い。けれど、夫はこの苦しさの欠片も感じられないような1枚を私の表情を懐かしんでいるのだった。



退職後の旅行の写真が全てパソコンに入っている。私は遺影を自分で選ぶのをやめようと思った。夫がいいと思う写真を選んでもらおう。ここは「そのうちやる。今やらなくていいこともある。」のゆるぎない信条に合わせよう。

お父さん、よろしく。