今日から

日々を綴る

母として思うこと

子育ては、上手く行ったとは言えない。

いや行ったのだろうか。自立して親を頼らない大人になった事をよしとするならば上手く行ったのかもしれない。

しかし関係性においておや。二人の子供は揃って親に絶縁状に近いものを叩きつけて去った。

それから三年近く経って、長女とは全く垣根のない関係が戻った。が、次女はあれこれ心遣いを寄せるようにはなったが、私へのブロックを解かない。父親とはもう元通りである。

きっかけは私の手術で、なにせ頭の情動に影響のある部分に異物を入れたのだから、その頃の私の言動にそれまでとは異なるものがあったことは容易に考えられる。けれどそればかりではなく、息子ではなく、娘と母親というそれまでの関係性も絡んで、一時は胃の腑を掴まれるような状況になった。

関係性という点で言えば、一度ぶちまけたものは目に残る見てしまった嫌な絵のように、消えはしない。消えはしないが、家族を嫌うということの葛藤に使うエネルギーに降参して、うわべ戻した感じ。

内政不干渉。長女は子育てに我々を殆ど頼らず、キャリアを捨てて仕事を在宅に切り替えて子育てをして来た。


次女は家庭を持たないかもしれないが、また関係性という点ではあと何回か会えるのだろうかとも思うが、それはそれ。

「さいのツノのようにただ独り歩め」

という仏陀の言葉を送ろう。唐突に聞こえるかもしれないが綺麗事ではなく、さまざまな思いにのたうった挙句の心境ではある。

長女の息子が今年から小学生になる。子育てはこれからだ。親と子との関係性、社会との関係に悩み、それを乗り越えていくだろう。行って欲しいと思う。

誰かが言った。動物に親孝行はない。振り向かず巣立つ子を見送るのが親。人間も動物のうちだからと考えろと。


でもそれはちょっと寂しい。だって

◯◯だもの。   △△を