今日から

日々を綴る

誰にも知られず、朝。

初夏、朝まだき、空は群青を留め、星が瞬いている。そっと掃き出し窓を開け、寝床から這い出したままの姿で庭に立って、私は湿った大気を胸一杯に吸い込む。甘い草の匂い、足の裏の草の感触、静寂。本当は、大の字になってこの贅沢な時を、過ごしたい。

と、変な奴ですよね。でもほんのちょっとの時間の初夏一度だけの楽しみなのです。


大地に寝転ぶのが好きです。最初は

六年生の秋の遠足。岩手県区界高原で。

空は何処までも広く青く、澄み切った空気や草の匂いやこの素晴らしい自然をどうしたら心ゆくまで楽しめる?と考えたかどうか。

街中の暮らししか知らなかった小学生が転校して来て高原で初めて「自然」「大地」に触れた。

きっと言葉に出来ない心揺さぶられる経験だったのだろう。

友達の群れから離れ、そっと大地に寝転んで暫く大空を仰ぎ、目を閉じて風の音を聞いた。


時経て三年ほど前、夫と巡った東北旅行で。

男鹿半島はもうじき日が沈みそうで、宿からの大きな夕陽を見に来たのであるからして、そうのんびりもしていられないのだけれど。

夫はススキの中に消えて行ったことだし(石の指標があるとかで、それを探しに)、荒海、風の音、広い広いくさはら、雲間の陽光、人影無しと来て寝転ばない訳には行かない。


幸せでした。ずっとこのままでいたい。髪を掻き回すほどの強風の中、少し身体を隠すほどの草に埋もれ、幸せでした。


庭では、猫のフンの有無を確認、お隣のご主人の動きを確認、裏の奥さんの動き、これは大丈夫、といくつかの指差し確認必須。裸足で降り立つだけだけど、それでもああ、生きてると思う。


寅さんが教えてくれたことのanother one.

「何の為に生きるとか、幸せって何だとかそんなことはどうでもいいんだ。生きてる、歩いている、その時ふと道端の小さな花を見て可愛いなぁ、きれいだなあって思う。それでいいんじゃないか。幸せなんてそんなもんじゃないか」


全く正確さを欠いています。歪曲しています。うろ覚えで、勝手な解釈です。裸足の老女、そんな幸せを味わっています。浮き世は辛いので。