目指すところは。
と、ここまで書いてきて、どうも路線が違うような気がしています。
土屋賢二さんの文章が好きでした。
声に出して笑いながら読んだ経験は先生の本以外にはないように思います。
あんな風に書いてみたいと思いながら、のっけから違ってしまったようです。
仕方ありません。人間としての器が小さいというか、ま、その時それを書きたかったのだから。変換ミスもそのままという雑な文章で、時間を置いて読むとぎゃーと言いたくなりますが、仕方ありません。
過剰にsensitive, emotional, wet,nostalgic? それでも書くと頭の中に何があるか、以前流行った脳内メーカーの様に、見えて来るものがあります。
今日は、久しぶりに「童謡・唱歌200」という本を出して歌っていました。
声が出し難いのも呂律が回らないのも病気のせい、DBSの副作用です。
これまた仕方ないことです。
で、好きな歌は「みかんの花咲く丘」、「里の秋」、「冬景色」です。
父は「叱られて」という歌をしばしば口ずさんでいました。
「叱られて」・・・しかしどうして昔の歌って悲しいんでしょう。こういう寂しい歌を斉唱したりしたんでしょうか。で、習いもしないのに私は何故この本の明治・大正・昭和20年代頃の歌の殆どが歌えるのでしょう。
これらが私の性格形成の過程で影響したのでしょうか。SEWNをNEWSに並べ替えてNandemo Eheheto Wratte Sumasouと軽やかに行きたいものです。
うーん、ダイゴみたいに上手く出来ないなあ!残念。