今日から

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シックスセンスそして父

ブルース・ウィリス主演のシックスセンスという映画がある。ラストのどんでん返しに驚かされたものだ。


あの主人公のように、私は若くして急逝した父が、自分が死んだことに気付いていないのではないか、ずっと私の傍にいて私の手をひいているのではないかと思って来た。


幾つもの不思議なことが起こった。

大学受験。年子の弟は進学するだろうが、私もそれに先んじての受験を決めていた。私学二人は母一人の稼ぎでは不可能であることが火を見るより明らかで、私は現役で国公立に受からなければ、公務員として働くことを決めていた。


理数系の弱さは家系的なものか、嫌いだから分からないのか分からないから興味が湧かないのか、もう卵が先かどうかというカオス、、、。やるしかない!の力技で行くしかなかった。


受験日当日、数学で出題された二問のうち、微積は捨てた。何ともう一問は一週間程前に心から嫌いで、これを憶えてしまえば似たような問題が出ても乗り切れるのではないかと「全て憶えてしまっていた」問題が全く同じ形で出ていたのだった。忘れたくても忘れられない順列組み合わせ。記憶で数学を獲った日のこと。


日本史でも過去問が丸々出題された。ただの手抜き?毎年こんな?

わけないよね。お父さん、ありがと!


結婚も、今の夫でなければ私はこの地で母の近くに住まい、母の最期を弟と共に看ることは出来なかった。これに関しても不思議な経緯がある。


それらを父に結びつけるのは感傷に過ぎないのかもしれないが、母が死ぬ少し前、私は母にこう言った。


「私、ずっとお父さんが傍で、こっちだよ、って私の手を引っ張ってくれてた気がする。」


すると母は嬉しそうに言ったものだ。「えっ、私も同じこと感じてた。」


そして母は頑健で、もしかしたら私が先かという思いを見事に裏切り、膵臓癌の診断から8カ月で父に手を引かれ逝ってしまった。病んだ娘の手を煩わせることなく、一言の弱音も吐かずに。


父さん、もう私の傍にはいないのですか。もう少し手を引いて欲しいのですが。