今日から

日々を綴る

母子手帳

随分前のことになる。

新聞の投書欄でこんな記事を読んだ。

私は仕事をしながら子育ての最中であったと思う。

「母子手帳を焼いた。」という文で書き始めてあったように記憶している。


読み終えて息苦しくなるほどの投稿者の母親としての悲しみが伝わって来て、読み終えてまた何度も読み返し、呆然とした。


何があってのことかは書かれていなかったが、娘との確執の果てに母子手帳を焼くことで娘への気持ちを絶とうとする母の表情が硬質の文章から想像された。それはもう能面の様なものとしか思えなかった。


母子手帳を受け取り、表紙に記名した母はかつて喜びに満ちてまた誇らしく、そして責任の重さをかみしめた。母はそれを心に刻み込んでいる。


時が流れ、母と子はその愛情を与えた与えられたという関係から、個人と個人の関係にその関係性を変えなければならないだろう。そんな過酷な関係にこの身が置かれるとは件の投書を読んだ時は考えても見なかった。


葛藤や軋轢なく、巣立つ子の背中に笑顔で手を振ることが出来る母親は幸いである。またどんな偉業を成し遂げた人より偉大であると私は思う。私は出来なかったし、悔恨を引きずったまま終わることになるだろう。



脳の手術が境目だった。何が私の中で爆発したのだろう。娘達との関係を一変させたものは。私の攻撃的な言葉に30 歳を過ぎた二人は真向から反発した。私にとって手術どころかお産以外の入院が初めてだった。頭蓋骨を砕く音を聴きながらの手術を終え丸坊主になった私は何を勘違いしたのだろう。今なら考えられない言葉を二人に投げつけた。長女は術前の状況を調べ尽くし、次女は出来る範囲で寄り添ってくれたのに。全てを脳の手術のせいにしたかった。しかしそれはきっかけに過ぎない。紛れもなくそれらの言葉を吐いた脳はこの私の中にあり、過去の今思えば独りよがりの子育てと娘達の中で繋がった。一旦口に出した言葉は取り返せない。娘達は背中を向けた。


二年後、長女は苦しんだ末に帰って来た。お互いに傷口は塞がっていないけれど。次女は戻らない。戻らなくともいいと思える様になったのは少し前のことだ。


ただ母子手帳は焼けない。どうしても。

「まだ」と付け加えるべきだろうか。