脳の可塑性というもの
ここ数年、読書に全く興味が失せていた。読んでいるようで、目が文字にとどまらないというのが一番正確な表現だろうか。
先日バカリズムという芸人が「自分は本を読まない。文字の羅列は図形にしか見えない」というような意味のことを言っていて、はたと気づいた。
この感覚に似ていることに。
脳にチップを埋め込む手術に臨むとき、
自分なりにリサーチし、慎重を期したはずだった。
けれど、症状がそのまま進行する恐怖に負けた。
性格が変わるかもしれないというようなリスクも知っていたら、果たして手術を受けただろうかと今になって思うけれど、でもでは受けなければどうなっていたかは、仮定でしか語れない。
この身体は心身共に方向性というものが日に把握しがたいのだ。
ただ言えることーーー私の脳は変わった。そして死ぬまでこの脳と付き合う運命にある。
と、そんなこんなのあがったりさがったり、泣いたり泣いたりの怒涛の二年が過ぎた。
それが、、、、
先日、あれは一体なんだったのだろう。年明けに買った日記帳に突然「明るく生きることにした」と書いた。書きたくなった。悲しさや苦しさを吐き出すことの方が多かった日記帳に。
数日経って、いくらやっても編み上げられなかったレース編みが出来た。タティングレース。スルッと。一番細い糸で。どうしてこの編み図が理解できなかったのだろうと、その時小さなモチーフを見つめた。
何か脳の中で起きているのではないか。
同病で、いつも何かにつけて助言してくれる年上の友人に知らせると、痛む体を押してしまい込んでしまっていたがと言って、一冊の本の名のメモを探し出してくれた。
読んでご覧なさいと。
「脳はいかに治癒をもたらすか」神経可塑性研究の最前線
ノーマン・ドイジ
ハードカバーで500頁以上。
今本を読めるようになって、言葉が頭に入っていくのを一種妙な感覚で味わっている。
奇しくも昨日ガッテンで、これから理学療法士が脳とリハビリ共関連性を学んでいくことになったということを取り上げていた。
負けない。脳の可塑性を信じてみようと思っている。なんだろう。いつも抱え込んでいた涙の塊、消えています。