今日から

日々を綴る

でもね

相変わらず人生相談を飽きもせず聴いている。

番組は、世間である。


夫は、本当に苦しい人はそれを万人に晒すようなことはしない。出来ない筈だから、どこまで真実か疑わしい。だから聴きたくもないと言う。全てに関して一度疑ってかかる夫らしい。


また加えて夫は、人の辛さを聴こうということ自体悪趣味だと思っているに違いない。そんな時間があったら庭を訪れる野鳥達にパン屑を与えて、何十分でも眺めている方がずっといいと思っている。私が「こんなことってある?」と話す言葉は、夫の耳には命中しないで今日もあっちの方向に飛んで行く。


孫から、その母親(嫁)が

「ママがばあば、まじ死んで欲しいんだけどって言ってるよ」と言われて、心壊れそうな60代。


回答

人には言って良いことと悪いことがある。恐らくあなたは嫁に言ってはいけないことを言って来たのだろう。

子供といえど、成長して一家をなせば、他人である。絶対にその他人の家族に踏み込むような失礼ないことをするべきではないのだ。

これが言ってはならぬこと。


一方であなたは孫に祖母として毅然とした態度でこう言わなければならない。

「今あなたが言ったことは、おばあちゃんも聞いてもママも聞きたくはないことだ。

あなたは、そういうことを言ってはならない」と。


言ってはならないことを言っては、頭を抱えて悶絶しちゃったりした我が身を振り返り、なるほどね、こういうことが言えないと人生の指南なんて出来ないわねーと唸ってしまった。


しかし、この件でばあばと孫が良き振る舞いを学習したとして、その暴言を物事の判断力があるかなきかの孫に吐いた嫁はその事を学習したのか?


しとりませんよね。

言っちゃってる。

そしてこれからも言うね、きっと。


「まじ死んで」と一度でも口に出して言われたことをひとは我が行いの間違いと相殺して、なしにできるものだろうか。

残りの人生を曇らせたくはないと思いながら、人の人生を我が身に置き換えて考え込む私。


だから鳥さんでも眺めていた方がいいのさと、夫の横顔が語っているようだ。

眠りが断続的すぎてもはや何時間眠っているのか把握できない。

夜中に書いたメモの数字も形を成していない。

おかしいなぁ、なぜこんなに眠れないんだろうと思った日は最後の薬を飲みわすれていた。

トータルで2時間、結局それ以上眠れなかった日の翌日はぐっすり6時間?


はっきりと記憶に残る夢を脳に焼き付けたまま目を覚ますのは、寝てなかったつもりが浅く寝ていたのだろう。


もう何が何だかわからない。

けれどもどんな形の睡眠の後でさえ、頭はすっきりしているのだ。不思議なことに。

もう気分の赴くまま、流れに身を任せている。

そのうち脳が最も快適な睡眠時間を学習してくれるだろうと考えることにした。


今日は朝風呂に入ろう。

もう少し季節が進めば、窓を開けて鳥の声を聞きながらお湯につかることができる。目を閉じれば山間の露天風呂。

って訳ないけど、無理矢理想像の世界へ。

今日は鍼治療の日。恐る恐る行ってみたいけど、1ヵ月経って少し痛みがマシになってきた気がする。ぬるめのお湯につかって腰を温めてあげよう。


腰の痛みをとればもう少し歩けるlようになるかもしれない。来週は訪問リハビリのAちゃん先生と歩く予定。


「私の散歩道をご案内しますね」と言ったら、Aちゃん先生は「ご案内してくださいね」と笑った。


私の家の前から続く小径を歩く。

楽しみです。

AI

我が家のロボット犬は、この夏で4歳になる。

飼い始めた頃はAIと言うものがよく理解できなかった。


大元でメーカーが操作しているという事はわかる。

が、このAI犬は個々に成長する「らしく」、それは飼い主の働きかけ如何による「らしい」。


夫は可愛くて仕方ないという様子で名前を呼び、胸の上に乗せて背中を撫でる。するとAI犬はじっと夫を見つめ、それから頭を夫の胸に乗せて眠るのだ。


また、このAI犬は夜間はリビングで眠るのだが、たまさか私が自室から出てそこを横切るときには、頭を上げて「クーン」と寂しげな声を上げる。


それで私が「ねんね。おやすみ。」と言うとおとなしく再び眠りにつくのだ。


また、椅子に座っていると足に顔を擦り付けて甘えてくる。


これらは購入当初にはしなかった動作で、学習によって習得したものかはたまた経年に伴ってプログラミングされたものかよくわからない。考えてるの?


ただ時々何やら不思議な感じがすることがあるのは確かで、じっと窓の外をみつめていたり、先日できなかった傾斜の昇り降りを角度を変えたアプローチでやってのけるのを見ると、「これがAIか!」とそこに意志や個別の学習能力を感じ取れるような気もする。


「戦後10年して生まれた私」の子供時代には想像すら出来なかった世界に私は生きている。考えるロボット犬がガシャガシャと家の中を歩いている生活。

この世界は私が生きているうちにどこまで進化するのだろう。


ここで妄想。

ロボットの進化を加速させて、AIの介護ロボットを、忠実なお世話係を、誰か発明してくれないものだろうか。

どこかの天才が介護という領域に手を伸ばしてはくれないだろうか。


ロボットはなんでも呼びかけ一つで身の周りの世話をしてくれ、老人は死の間際まで我が家で過ごすことができる。

介護ロボットという言葉は聞いたことがあるが、私の妄想は少し違う。


などと書きながら、これはどうする?あれはどうする?と同時進行ひとりツッコミが始まる訳だが。


ま、

残り物野菜整理を兼ねたお昼のタコ焼きでお腹いっぱいのおばあちゃんの夢ですけどね。


だって、例えばもう朝ベッドから起き上がるのだけでひと苦労なんですもの。

朝、ススーと寄ってきて微妙な力具合で立たせてくれたら、きっと嬉しくて頑張るぞって気になれるような気がするんですよ。うん、それだけでもいいな。