今日から

日々を綴る

アドラー

先日、本当に数年振りに一人でのんびり本屋を覗いてみた。

本が読めなくなって久しい。

加齢から集中力が衰えたせいか。でもそんなことを言ったら同世代の読書家に失礼というものだろう。

もしかして脳に入れた電極が前頭葉にいたずらしている?

フィクションには全く食指が伸びない。

結局手に取って買ったのは「アドラーの心理学」。遅ればせながら。



人間関係改善に関する内容である。

この年になれば、ある程度人間関係は淘汰されたものになっている。解消したければ静かに遠ざかればいい。

けれどそうはいかないのが家族との関係だ。

退職して一日中顔を合わせている夫、40歳に近づきつつある娘達。本当なら、もはや動かざること山の如きパーソナリティに対してどうのこうのいうべきではないのだろう。


私の場合、娘達とは同性故の難しさを感じている。けれど夫とはこの期に及んでというべきだろうか、まだ多少軌道修正の余地、互いに折り合って日々の生活を穏やかで心地よいものにする可能性があるのではないかと考えてしまう。

片方がゴールテープを切るとき、「やれやれやっと終わった」はいやだ。「ありがとう」と言いたい。

幻想なのだろうか。


で、アドラーの本の「斜め読み」から掬い取ったこと。

・人を変えるのは大変。自分が変わる方 が早い。(わかっちゃいるけど)

・「いつも」「みんなが」というのは思 いこみが多い。(子供の頃の喧嘩の常 套句「いつ言ったー何時何分何十秒  は基本?)

・不機嫌はそんなに長く続かない。

 (確かに。お互い先がそんなに無いも のね)


うんうん。なるほどね。

先日のタッグマッチの時、実は密かに懐にこれらのカードを潜ませていました。


翌日の夕方にはあーだこーだ言いながら一緒に相撲観戦してました。

ふるさと 私の。

子供の頃、夢のような一年半を岩手県盛岡市で過ごした。単身赴任していた父に合流する形で、母と私、一つ違いの弟は見知らぬ東北の地に立った。

そこで私を迎えてくれたもの。

人をいじめるということをしない子供達。はにかみ屋の男の子たちと人懐こくて笑顔が可愛い女の子たち。


春に六年生のクラスに入った。芋煮会があった。秋には真っ赤なものが飛んで来たと思ったら赤トンボの群れだった。箒木取りという行事は、みんなで箒木と呼ばれていた材料を取りに行く。リヤカーにそれを乗せて帰ると、先生方がせっせと箒木に仕立てた。

薪割り大会には子供たちが木を運び、先生たちがそれを薪に割って行く。薪は教室の脇に積まれて、一冬教室のダルマストーブに焚べられた。運動会では、地下たびと呼ばれていたが、短いゴムの入った足袋を履いた。雪は膝まで積もった。

氷柱が屋根から下がって翌日の朝日に光っていた。窓には窓霜という美しい氷の模様が木の葉の形を作った。買ってもらったアノラックに雪が結晶の形で舞い降りてきた。零下12、5度。

夕方、近くで男の人達の声がした。ドアを開けてみたら、大工さんたちが一日の仕事を終えて焚き火を囲み、素晴らしい声で民謡を歌っていた。一人の声に何人かが和す形で、その切ないような旋律に子供ながら聞き惚れた。

友達の家の庭にはペットの山羊がいて、

川ではカジカが鳴いた。家の牛を引っ張って川まで連れてきていた友達がいた。

家の庭には花が咲き乱れ、ほんの小さな玄関脇のスペースにもスミレが可憐な花を咲かせていた。思いつくままで季節はまちまち。思いが溢れます。


何もかも初めての経験だった。

自然は折々に美しく、また厳しく、人は素朴で優しかった。

あの地での短い月日が、私にどれほど豊かなものを与えてくれたか計り知れない。


ただ言ってみても半世紀以上も前のことだ。自然も人も変わっているかもしれないと思っていた。

ところが、先年の正月、夫の友人で教員をしている盛岡に住む方からの年賀状に「天使のような子供達 イーハトーブより」という言葉を見つけた。


嗚呼。ふるさとは変わらず。ふるさとは変わらず。ただ懐かしきかな。

故郷

吉幾三が「津軽」という全編津軽弁の曲を配信し、後発としてこの度DVDを発売するそうである。(した?)


若き日「おら東京さ行くだ」と歌った人が恐らく字幕が無ければ殆ど意味が分からないであろう津軽弁で、去って故郷を顧みない子供達にラップで語りかける。


帰って顔を見せろ。

親は老いてあと何年生きられるだろう。

手土産もなく来ても親はなんらかのものを持たせて帰す。

どこで何をしているのだ。

馬鹿者が。

帰らなければ化けて出てやる。

帰って来い。


血を吐くような心の叫びに聴こえる。

夫は同じ年齢のこの人の歌を昔から好んで聴いていた。車でドライブ旅行となれば、車内にはいつもこの人のこぶしの効いた演歌が流れ、娘たちは高くてヒヨコのようなピヨピヨした声でこぶしを真似、

「わかるかなあ~. 酒よ~」とか

「好きよ~ あなた~」

などと唱和していたものだ。


自分は故郷を捨てられない、捨てられないどころか歳を取るほどに故郷は自分の中で色濃くなっていく。どうか子供達よ、故郷で土地を守り、生きている親を自分の中に流れる津軽の血を疎かにせず、帰ってくれと吉幾三は叫ぶのだ。


私は私の中に紛れも無い東北人の血を感じている。それでこの曲に心を打たれるのだろうかと思ったが、江戸っ子の夫も元々ファンだったというのも勿論あるからだろうが、しみじみと聴き入って、あれっ、涙?


あなたの故郷はどこですか。