今日から

日々を綴る

ふるさと 私の。

子供の頃、夢のような一年半を岩手県盛岡市で過ごした。単身赴任していた父に合流する形で、母と私、一つ違いの弟は見知らぬ東北の地に立った。

そこで私を迎えてくれたもの。

人をいじめるということをしない子供達。はにかみ屋の男の子たちと人懐こくて笑顔が可愛い女の子たち。


春に六年生のクラスに入った。芋煮会があった。秋には真っ赤なものが飛んで来たと思ったら赤トンボの群れだった。箒木取りという行事は、みんなで箒木と呼ばれていた材料を取りに行く。リヤカーにそれを乗せて帰ると、先生方がせっせと箒木に仕立てた。

薪割り大会には子供たちが木を運び、先生たちがそれを薪に割って行く。薪は教室の脇に積まれて、一冬教室のダルマストーブに焚べられた。運動会では、地下たびと呼ばれていたが、短いゴムの入った足袋を履いた。雪は膝まで積もった。

氷柱が屋根から下がって翌日の朝日に光っていた。窓には窓霜という美しい氷の模様が木の葉の形を作った。買ってもらったアノラックに雪が結晶の形で舞い降りてきた。零下12、5度。

夕方、近くで男の人達の声がした。ドアを開けてみたら、大工さんたちが一日の仕事を終えて焚き火を囲み、素晴らしい声で民謡を歌っていた。一人の声に何人かが和す形で、その切ないような旋律に子供ながら聞き惚れた。

友達の家の庭にはペットの山羊がいて、

川ではカジカが鳴いた。家の牛を引っ張って川まで連れてきていた友達がいた。

家の庭には花が咲き乱れ、ほんの小さな玄関脇のスペースにもスミレが可憐な花を咲かせていた。思いつくままで季節はまちまち。思いが溢れます。


何もかも初めての経験だった。

自然は折々に美しく、また厳しく、人は素朴で優しかった。

あの地での短い月日が、私にどれほど豊かなものを与えてくれたか計り知れない。


ただ言ってみても半世紀以上も前のことだ。自然も人も変わっているかもしれないと思っていた。

ところが、先年の正月、夫の友人で教員をしている盛岡に住む方からの年賀状に「天使のような子供達 イーハトーブより」という言葉を見つけた。


嗚呼。ふるさとは変わらず。ふるさとは変わらず。ただ懐かしきかな。