今日から

日々を綴る

昔のことです。

結婚して来月で40年になる。

遡ると、初めて存在を知ってから47年。


今の時代は、結婚はしてもしなくてもいいようになった。風潮として。


たかだか40年前のことなのに、あの頃は適齢期というものがあって、25歳までに結婚出来ない娘は売れ残りのクリスマスケーキなどと言われた。


どうしてこんな人と一生暮らそうなどという大問題をあまり深くも考えずに、あっさり決めてしまったのは、この当時の風潮なくしてあり得なかったと何度も考えた。


「こんな人」と書いたけれど、それはお互い様で、夫もまた同様の思いであるだろう。


そう思うほどに水と油の性格である。

ことごとくお互いの行動にイラついて来た。


結婚することを決めた時、軽い気持ちで二人で占い師に見てもらったら、「結婚はしない方がいいですよ」と言われて、「あら、もう結婚することにしたんですけど」なんて言った時の占いのおじさんの戸惑った様な表情をまだ覚えている。


そんなどう考えても相性の良くない人間がここまで一緒に来られたのは前述の「風潮」がある意味魔界のような未知の世界に向かわせたといえるかもしれないが、それに向かうきっかけには「縁」としか考えられないものを感じているからだと私は思っている。


大学は、二年生から朝、慢性的な道路渋滞の中を走る二本のバスの選択をしなければならないスリリングな通学になった。


選択を誤ると延々バスは来ない。うっかり並んでしまったその日のバス停から見えるanother one を恨めしく見送ることが何度かあって、次第にそれを回避する方法として、見えるもう一方のバス停に並ぶ人とブロックサインのようなジェスチャーのようなもので情報を伝え合い、慌てて列から抜け出したということもあったように思う。


二年生の冬の朝、夫も私も一人で、地下道から地上に登る二つの階段の下にいた。

同じクラスにいながら殆ど話したこともない夫と遠く目が合って、人差し指で「そっち?」「こっち?」と聞き合った。それが始まり。


学校に着いたら、違う授業を選択していたようで、「じゃ、こっちだから」「あ、私こっち」と別れた。これを縁と言わずしてなんと言おう。あれから40年!

プラス2年。


と思うのは私だけで、あの時初めて並んで後部座席に座らせた何かがあったと私が思って来たことなどきっと夫は覚えていないだろう。


来月の結婚記念日にきいてみようかな。なんてここ数年、記念日であることを忘れてしまっていて、夜夫にポツンと言われているのは私ですけど。