今日から

日々を綴る

老いて来ているのは充分わかっています

夫が整形外科の受診を終えて帰って来た。この時期である。コロナ禍の中、急を要するというのでなければ行かない方がいいに決まっている。


おまけにクラスター発生中の病院である。案の定帰宅して曰く

「待合室に患者が二人だった。」

「.........」


足首が痛くて堪らないと言い始めたのは随分前のことだ。

「思うように歩けない」ことが生活の質を落とす、色んな意欲を失わせることは私がいやというほど味わっている。夫も近所の個人病院に行ってはいたが、行って触られるたびに痛くなるのだという。


そうこうしているうち、さすがの病院嫌いの夫も自分で方策を考え、身内の病院関係者の紹介で遠方ではあるが、MRIのある病院での診察を決めて来た。


そしてコロナ感染の危険性のど真ん中を突いて受診し、さて検査結果と先生の話はと聞くと「異常無し。無理せず生活」


近所に医者が言った所とは別の所が傷んでいるということらしいが、つい聞いてしまう。

「痛むのよね。それはどうにもならないからあまり動くなってこと?それで終わり?」


「そういうことだろうなあ。よくしてあげられなくてすみませんって言われた。」って。


老化?

老化を受け入れて、我慢してじっとしていろ?


んんん。

老人で溢れかえっている整形外科や整骨院、整体院の様子を思い浮かべる。通っていればきっと楽になると信じて毎日通って。或いはある時見切りをつけて、違う診療に切り替えて。


友人の中には、

「病院は行っても湿布渡されて終わりだから行かない」人、

「ずっと通ってたけど、骨頭壊死に至ってた」という人もいる。他でもない私も通えば大丈夫と抱え込まれて(というのは筋肉を切って一年経って思うところだ。)ある時それを見切った口だ。

検査の必要性も転院も自分で判断した。


そして今じわじわと腹立たしいのは、そんな患者がきっと山のようにいるはずなのに、老人達を抱え込んで次の他のステージ(的確な検査、生活指導等々)に乗せずにいて、症状が悪化して失望と共に転院していたとしても医者がそれを認識していないこと。

初めから「老化」の上の症状だとしているのかどうか、責任が問われることもなく施療の質が一向に上がらない医院・病院の多いこと。


私は夫を次のステージに乗せるつもりでいる。諦めてたまるもんですか。