待合室にて
大学病院の待合室である。
時間ばかりが過ぎ、中待合に入っても一向に名前は呼ばれない。向かいに座っている20代と思しき女性はこめかみを押さえたまま動かない。車椅子の髪を綺麗に結った老婦人の手を摩って「もうじきだからね」といっている娘さんは何回同じ言葉を繰り返したのだろう。
この無為に過ぎていく時間の中で、隣に座った人と同病の身、うまいタイミングでお喋り出来れば、耐えるだけの時間ではなくなるかもしれない、お互い思いもかけない情報を得ることができるかもしれない、そう思いはしても、実際には話しかけるのは憚られる。
話すこと自体、辛いかもしれない。
話が途切れたら気まずい。色んな思いが錯綜する「ことがある。稀に」
大概は迷うこともなく、時間を耐えるだけだ。
その人は、私が少し前デザインと大きさが気に入って買ったキャリーとほぼ同じような真新しいキャリーを持っていた。恐らく年齢も同じくらい。隣に座って何をするでもなく、ただ待っていた。私と同じように。
ここまで待てばあと30 分か、と思ったとき、その人は小さくため息をついてかかとを付けたまま靴の爪先を上げてじっとそれを見た。手は太ももを挟んで両脇。
いかにもつまらなそうに、子どもみたいに。
あと30 分かそこら、話してみたくなった。
そしてばらくして片方が呼ばれ、
あわててアドレスを交換したその日から2年近く経った。
後でわかったけれど、自分から人に話しかけたことがないということだった。
すごく繊細な人だ。
今、調子が悪いとお喋りはLINEの打ち間違いとスタンプだけになったりする。お互い様。
会ったのは一回。
でも、沢山会ったような気がする。
私は、何故か時々あの運動靴の先を思い出すのです。