あつもりデビュー
パーキンソン病そのものと他の諸症状に
合計7種類の薬が処方され、それを11回に分け、組み合わせて飲んでいる。
加えて、その間に身体に入っている機械の電流の調整が何回かある。つい忘れるので、スマホでアラームを鳴らす。鳴ったら即服用しないとアラームを止めて飲んだ気になり、忘れてしまう。凹む。
飲まなければ身体は正直に反応して、動けなくなる。いつもいつも「薬、薬」とそれが頭を離れない。
一日中一緒にいる夫もこのストレスを同様とまではいかなくても、感じているのだろうということはわかっていた。
私の病気は進行性であるから治ることはないし、緩やかながら症状は進んでいる。それに抗いながら家事をすれば、バランスを崩して悲鳴と共に倒れ込むこともままある。何とか持ち堪えて骨折のような大事に至らないようにしているので、無理してやっているのが分かっても手助けせずに夫には見守って欲しいと思って来た。
が遂に先日、ガスレンジの前でひどくよろめいて怪我をしそうになった時、夫が言った。
「もう何もしないでくれないか」
黙り込んで部屋に去って籠るか、
本気で言っているのかと言葉尻を捉えて悲しさと怒りの混じった形相で迫るか、
100%言葉通りではない夫の心情を受け止め、ごめんなさい危ないことしてと引き下がるか。
こんな感情のぶつかり合いの場面が、小さいものなら日常的にある。お互いの思いから目を逸らさなければならないことの繰り返し。
そんなすぐさま暗雲立ち込める日常に、
突然「あつまれ動物の森」というゲームが投入された。
ドラクエに続き、これまた壮大なる時間の浪費。しかし、順番こにこの実利のない行き着く先のないゲームをやっている時、気づいたことがある。
夫の声が柔らかい。
苛立っていない。
「ねえ、いいのかな。すごい時間の使い方してるよ。」
「いいんじゃない?いいんだよ。こんな風に時間使ったって。いいんだよ。」
残された(動ける)時間を無駄にしたくないと、動かない身体を引き摺るようにして家事をし続ける私は、きっとその先の姿を夫に容赦なく突き付けていたのだろう。
のんびりとしたテンポで展開するこのゲームを共有する、その「無駄」なひとときの中で夫はほっとしているのかもしれない。
病んで毎日何処かでうめいている姿を見ている相方の体内時計を「忖度」しなければとゲームの中で魚釣りや虫採りをしながら思ったことではあった。