今日から

日々を綴る

67歳 真夜中の庭で

また4時間きっかりで目が覚めた。数ヶ月前は2時間の壁をなかなか越えることができなかったのだからこれでよしとしよう。何事もプラス思考だ。


丑三つ時。タオルケットと携帯を抱え薬が切れてバリバリに固まり、壊れたゼンマイ仕掛けのようになった婆さんが部屋を抜け出す。


昨日、庭にソロテントを張った。

中に仕込んでおいたものは、LEDのセンサーライト、百均の折りたたみ式座布団、手編みの敷き物。


キャンプ用品を揃えられれば良いのだけれど、いきなり継続できるかどうかわからない遊びに乏しい小遣いを投入することには慎重にならざるを得ない。 

まずはあるもので試運転。年金生活者は財布財布のヒモが固い。


暗がりの中、注意すべきは転倒と藪蚊。掃き出し窓と網戸をそろそろと開け、濡れ縁に立つ。庭用の下駄は不安定で、夫が設置してくれた二階ベランダと庭を繋ぐ手すりにつかまり、転ばないように転ばないようにと呪文を唱えながら、テントに入る。


首尾よく体を横たえる。静かに目を瞑る。


ぷーん。来たか、おのれ、唯一にして最大の敵。

動作が鈍いので、テントのジッパーを開けて入るときにやはり1匹入れてしまったらしい。そうだ、使い方がわからない余分なテント付属のネットが足元にあった。それで頭を覆い、体はタオルケットで包み万全の態勢。


改めて目をとじる。まだ鳥も鳴かない静寂の中で大地から背中に感じるものがある。気?のようなもの?

人は地面に近い所で寝た方が精神的に安定するなんてことを聞いたことがあるが、それかしら。


パジャマのままで、顔にはネット。人には見られたくない姿ではあるが、それは置いといて、ふと気づいたことがある。いつも心の底にある将来の自分についての不安、憂いが消えている。客観的には滑稽な姿であるが、手に入れたささやかな非日常。静かな心。


よし、やれそうだ。この夏はこの小さなテントで時々朝を迎えよう。早朝の空気に身を浸そう。マットや枕も一つ一つ楽しみながら揃えてみよう。


と思っていたら、ぷーん。蚊は諦めない。やだもう。

ぶーん。今度は何処かからエアコンの室外機の音。えー。

そうか、私も蒸し暑くて起きたんだった。ま、いっか。


改善点はいくつかあったけれど・・・楽しい。今日はテント滞在時間40分。真夜中の冒険。こけて怪我しないでよかったー。

ひとつひとつ

去年の暮れからの腰痛にやっと光が見えてきた。病気は確実に進行していると思われた。一時は車椅子になって、もはや自力歩行もこれまでかと思ったものだ。


鍼に3ヶ月通った。効果があったのだろう。多分。それに訪問リハビリのOTの指導に沿ったストレッチと運動。主治医が出してくれた薬も奏功したのだろう。

どうしても取れなかった腰のピンポイントが痛みがやっと遠ざかった。万歳、バイバイと痛みに手を振る。


腰が痛まないので今までより長い時間台所に立てるようになり、久しぶりに、(私にとっては)敢えて面倒な春巻きを作った。同時進行でシフォンケーキを焼く。娘が卵をたくさん持ってきてくれたので。それから、近々学生時代の友人が二人訪ねて来てくれることになった。


実はそのうちの1人と「最近なんだかめっきり老け込んだ気がして鏡を見るたびにがっかりするのよね。会いたいけどこれ、もう少しなんとかしなくちゃ。」と集まりを1ヵ月後位に想定していたのだが、もう1人がわりとせっかちで、ニ週間後に集まると言うことになってしまった。


もうまんまで行くしかないねと2人で笑う。


歩くことも少しでも若々しくあろうとすることもここから降りたら終わりだと思う。衰えながらもながらまだ先に進みたい。


とは言え、この半世紀に渡る付き合いの友人達と会うのはこれが最後かもしれない。思いっきりおしゃべりしよう。きっと「あれ」「これ」「それ」がてんこ盛りの会話になるだろうが「そもまた楽し」だ。


一つ一つ手仕舞いしながらの日々ではある。

北の国にて

7月の終わりだというのに、知床は震えるほどの寒さだった。

知床横断道路は霧に包まれ、運転席の夫は「見えない、見えない」とつぶやきながらハンドルにかじりついていた。


真っ白な霧の中をとりあえず無事に通り過ぎなければ。子供たちは妙におとなしく、眠っているようだった。


他に走っている車も見えず何やら異界に入り込んでしまったようで、恐怖に似たものを感じ始めた頃、後部座席にいた私の目に突然飛び込んできたのは入道のようにそそり立った白い山だった。

私だけが見た。


知床を横断するという計画を立てたのは私だったが、道路と周りの景観との位置関係までは把握してなかったのだ。今から25年前。スマホもカーナビもなかった。


羅臼岳が身体が凍りつくような白い息を辺りに容赦なく吹き付けているかのようだった。無表情で霧の中に浮かんでいた。

神なのか?見えなくなるまでの数秒間、車を覗き込むかのように山はウインドウいっぱいに迫って来た。


「お父さん、なに?この山なに?」

「分からん。なにも見えん。」夫に景色を見る余裕は無い。その山の名前は帰宅してから知った。


北海道の荒々しい自然の中では、人間はなんと小さく儚げなものなのだろう。

いたましい事故のニュースを見ながら、私はあの数秒間を思い出していた。