今日から

日々を綴る

朝は希望だろうか。

そして私はワインを流し込む。


夜中に目覚め、無理矢理眠ろうとして先日来、何日かおきに3回ほど催眠剤を飲んだ。

昨日は案の定の悪夢だった。


私の部屋にどこの誰とも知れぬしわくちゃの老人が入り込み背中を丸めて座っている。そのうちにいつの間にか私の横になっている背後に来てクチャクチャと音を立てて何か食べている。


あっちへ行って、お願いだからあっちへ行って。絶叫して追い払おうとする。これは悪夢だと夢の中で気づいている。それでも叫ばずにはいられない。


催眠剤を連用すると必ずこんな夜が来る。夫には泣いても叫んでも来なくていいと言ってある。けれど今回はあまりに声が大きかったらしく、気がつくと恐怖に目を覚まして縮こまっている私の横に立っていた。


夫は「大丈夫か。」と言って私の肩をポンポンと叩いた。


薬の副作用が怖い。今7種類の薬を一日に13回飲んでいる。病気も進行してはいるが、これらの薬がいずれ副作用を誘発するにに違いない。


催眠剤はまたしばらくやめよう。

少しワインが回ってきたみたい。ふわりとしているうちに目を閉じれば眠れるだろうか。


テレビはタイマーをかけ忘れてつけっぱなし、メガネかけっぱなし、電気つけっぱなし。これではいくら悪夢にうなされようと、夫に横に寝てとは言えない。


ひと眠りした後、前日に買った美味しくもない白ワインを流し込む12時。

うーん、もう一杯か。

砂時計のように

若者は一日が終わるのを早く感じ、一年が遅い。対して老人は一日が長く一年が短いということを耳にしたことがある。


勿論個々のことを言えば生活の仕方と関わることであるから、年齢に関わらず逆の感覚の人もいることだろう。


私がそれを聞いた時は、たまたまなるほど!と膝を打つタイミングだったのかもしれない。それ以降、この感覚が逆転することがないのだ。


長い。一日が長い。もうどんどん長くなっている。


病を得るまでは一分を惜しむように動いていた。


子育てが終わり、親達を見送り、明日終わるかも知れないけれどとりあえず長い一日を手に入れた。


早寝早起きが習慣になっている。

4時には起きて7時には横になっている。うとうとして目覚め、目を開けるとまだ日付けが変わってなかったりして。


脱力。脱力を超えた脱力。

夜も長いのです。

何度も起きてワイン飲んだり入浴したり、テレビ観たりして何とか朝を迎える。

 


今年の正月に五年一覧カレンダーを部屋に貼った。

過ぎて行く「時」を目で追えるように。過ぎて行く時間を意識したくて。

ひと月終わるとシールを一枚貼っている。

もうじき一列が終わる。

砂時計のように、シールは今年の日にちを覆った。やっぱり早かったなあ、一年が。早過ぎたなあ。


ふと、「でも来年このカレンダー外すかも」と思った。

ゆうひ

「最果て」と言う言葉が浮かんでくる。秋田県男鹿半島入道崎。


ゴーゴーという風と波の音。もうじき大きな夕日が目の前の荒涼とした海に静かに沈んでいくのだろう。私は草原に身を横たえて目をつむった。


あの海に行きたい。もう私にはあの広大な草原を歩く脚力はなく泣き言を言わずに車で運ばれる体力もないのだけれど。


宿の海に面した天井までのガラス窓、その前に立ち、溶けたガラス球のような大きな大きな太陽が沈んでいくのを旅人たちは言葉もなく見つめていた。


人生の終わりに、沈む夕日を一緒に眺めてくれる友がいれば他に何も欲しいものはないとさだまさしが歌っている。


私の隣には夫がいた。けれど私の視線も夫のそれも交わる事はなく、姿を消そうとしている太陽を見つめている。私たちは二人でここに来たけれどそれぞれが一人であることをしみじみとかみしめていた。


男鹿半島入道崎。風の岬にもう一度立ちたい。