今日から

日々を綴る

また

夜中の2:00です。読んでくださっていた方、ありがとうございます。本当に久しぶりに、モグラのようにぽこりと地中から頭を出してみました。       驚きました。まだ横切って見て下さった方がいらっしゃったのですね。     書くことがなくなったわけではないのです。けれど、文章にするエネルギーがわかない。そうこうしているうちに、文章の主述がねじれて辻褄が合わなくなってきました。習慣的に書くということは大切ですね。犬の服と言う能力が随分と弱くなってきたようです。そんな気がします。「アルジャーノンに花束を」の最終章のチャーリーのことが思い出されます。 (しかし、書きながら思うのですが、改行ができないのはなぜでしょう。読みにくくて申し訳ありません。)


あ、できた!


今の私は電子リコーダーを吹く毎日を送っています。学校に行っていた頃のは、音が大きいので、音量調節が出来るエレフエというのを手に入れて、多重録音で一人アンサンブルをしています。

高校時代にバロック音楽サークルにいたと言っていた友人とアンサンブルをやろうと話していたのですが、なんと、お孫さん誕生でおばあちゃん駆り出されて笛吹いている場合ではなくなりました。


落ち着いたら合わせてみようと話しています。そんなわけで、今笛吹きばあさんやっています。管楽器を吹くことの副産物として、演奏の間腹式呼吸をしていたことに気づきました。リハビリにもなっていたわけです。


読みにくくてごめんなさい。直すじかんがありません。寝なくては。


またひょっこり顔を出す日があるかもしれません。お帽子の方、スヌーピーさん、ほかの方もありがとうございました。また。

さてどうする会議

歩こうとすると股関節が悲鳴を上げる。

そういう変化があるたびに最早ここまでかと気持ちはどんどん暗闇へと落ちていく。

  

ところが昨日、ふとこんなことを思い出した。うちには高齢者の身体に優しいと聞いて購入したリカンベントバイクがある。漕ぎ始めた頃、みぎはまともに漕げなかった。ペダルから外れてしまうのだ。


それで一昨日、今の状況で左ペダルは真っ直ぐに漕ぐことができるのだろうかと考えてバイクにまたがり、漕ぎ始めた。


予想通り、痛む右はまともに漕げない。曲がってる?暫く漕ぎ続けた。真っ直ぐ漕げるようになって、バイクから降りた。それ以降股関節の痛みが止んだ、、、不思議。


そして今朝、またしても痛む。バイク漕ぎ5分ではまった?のかどうか分からないが、やはり痛まなくなった、

去年はこの痛みで、鍼灸院に半年近く通った。若干和らいだというところで中止。


PDという病は様々な合併症を起こしながら下り坂を下りていくようだ。

だが、発症16年目に入り、自分の身体にはまだ残されたチカラがあるのではないと思い始めている。


間違いなく悪夢に苦しめられる催眠剤をやめて切り替えた蜂蜜を入りの真夜中のホットミルクはほぼ一時間後に眠りを呼び寄せ、朝目覚めた時の浅い呼吸による身体の重さは10分間の腹式呼吸と胸式呼吸でほぐれていく。


薬ばかりに頼らない方法を探したいと思う。頑張れ、私の体。


ところで闘わないと決めたという舌の根も乾かぬ内に、というべきだが昨夜夫と自分達の残された日々の過ごし方を話し合った。たった二人の関係性でストレスを生まない工夫について。短い言葉が生む互いの誤解について。

70と68がまだこんな会議をしている、いつまでも未熟なことよと思うばかりだが。誠にお恥ずかしい次第です。

闘わない

朝っぱらから大きな声で文句を言われ、「はい、ごめんなさいね。」と口先だけで謝りはしたが、内心では「ちっちゃいんだよ。いちいちうるさいなー」と毒付いて庭に出た。


夫が目を三角にして怒ったのは、3袋入っているドライイーストがまだ一箱あるのに、先日買って来た新しい箱を私が開けたから。夫は週一くらいで自分の朝食用の食パンを焼く。パンは、パンの材料管理はオレの縄張り?ちっちゃ。


まだ残っている箱にパンを焼かなくなった私が気が付かなかったけのことだし、私が気付かなかったイーストにしても次から使えばいいというだけのことではないか。個包のなのだからno problemである、どう考えても。


が、夫は開封された箱がいくつもあるのが嫌だとかナントカまだ文句を言っている。

その声をふりきって春爛漫の日差しが降り注ぐ庭に出た。

一番好きな季節。明るくて昔植えた球根がまた今年もあちこちから葉を伸ばし花を咲かせ。


私はひとりだ。ひとりで花を眺めている。それがどうした。


そうだ、テントを張ろう!

自室に戻り、押し入れの奥にしまっておいたソロテントを引っ張り出して悩むこと数十分。


覚えていない。説明書を読んでもさっぱり分からない。が、それも想定内のこと。手際よく完成させられるなどとは微塵も思っていない。ひとつのものを作り上げるのもボケ防止と、投げ出さずに最後までやるという目標のもとに格闘すること、、、、どれくらい?


やれやれ、完成、と濡れ縁に腰掛け、暑くなったのであずきバーをかじりながらテントを眺めていたら、なんと左手から孫が突然登場。


なにしてんの?何食べてるの?

母親譲りの早口で立て続けに質問される。いやー、不意をつかれたとはこのこと。座椅子を入れてコックピットのようになった小さなテントとアイスをくわえた祖母を見やり、戸惑ったようなニコニコ顔で、すっと帰って行った。


何処かで掘って来たのか台所には筍が置いてあった。今日は体操教室だから、筍だけ届けにきたのだろう。あっという間に三年生になった孫が下手に消えて、再び濡れ縁にひとり。


太陽の下の孤独。

それがどうした。

どうしたというのだ。