今日から

日々を綴る

昨日は良い一日だった。


朝の体が動くうちに時短料理を仕込み、それから、捨てられなくて取っておいたスカートのウェストを直した。(まだ途中)

久しぶりに東京の同病仲間とLINEでおしゃべりをした。膝が痛むとのこと。

私は相変わらず腰。


我が家の夕飯は4時半からである。お相撲も終わってしまったからたいして話すこともなく食べ終わり。


ふと、「桜が見たいなあ」なんて話になって、すると「公園の桜がきれいだよ、行ってみようか。」と夫が言って。歩いて1、 2分の公園に見に行くことにした。


こんな時間に外に出る事は無い。歩道の

ほんのわずかな下り傾斜が怖い。杖をついてゆっくり歩く。傾斜があると足がすくむ。夫の手が伸びる。絶妙の間合いで。Thanks 私のパートナー。


夕闇が迫るひと気のない公園の桜。

しばらくベンチに座って眺めた。

公園の周りをゆっくり歩いた。雪柳。ドウダンツツジはこれから。可愛い赤いツツジ。春はいいな。夕闇が降りてくる。



  サクラ サク サクラ サク

むすめ

次女から送られて来た荷物を開けた。

父には海外版の画集二冊。

私にはレモンイエローのトップスと白いキャミソール。


そうか。海外から取り寄せるってこういうこと。この画集のことね。

娘は先月まで世田谷文学館で開催されていた谷口ジローの展覧会に行ったらしい。そこで父親の好きなこの人の画集を送ろうと思った、、、らしい。海外版の方を。


それまで上げ膳据え膳で暮らしてきた娘が1人でどんな生活をしているのだろうと気を揉むことを一切止めるまで、ずいぶん長くかかってしまった。もう会うこともないかもしれない、それでも構わない。私も自立できたのかもしれない。

そんな思いで暮らすようになったここしばらく。


昨日、娘からの荷物が届いた。

絵を見に行こうというような気持ちで暮らしている。それだけで良いと思えた。


いや本当はそれだけではない。画集を見て胸がいっぱいになった。谷口ジローの描いた精密で情感に溢れた絵のでテーマがヴェネチアだったから。


大学卒業を控えた娘と二人で行った最初で最後の海外旅行。あの迷路のようなベネチアの街を娘は地図と少し前に歩いた記憶で、一度も迷わずに歩いた。娘の背中が頼もしく見えた。

アドリア海に浮かぶ教会から見た本島の美しさが蘇る。谷口ジローは、あの海と空の色を思い出させてくれた。


「母さん、楽しかったよね」と言う娘の声が聞こえたような気がしたのは手前勝手というものだろうか。

まだ娘の中ではちょっとでも近付けば干渉してくる毒親なんだろうか、私は。

ま、いっか。



ああ、でもふらりと帰ってこないかなあ。寅さんみたいに。

それと、キャミソールのSサイズ、もう入らないのよ。太っちゃったからって、心の中で言ってみた。

才能

池松壮亮という俳優を初めて見たのはいつのことだっただろうか。

「セトウツミ」。

河原?に二人の高校生が座ってしゃべるというだけの映画だった。

池松壮亮と相手は菅田将暉。

菅田将暉もこの映画で知った。

見終わって菅田将暉の方が印象に残った。いきのいい清潔感のある子鹿のような青年。それからしばらく「さて今日は映画を見よう」という日は菅田将暉主演のものを探していたような気がする。


そしてずいぶん経ってから「そういえば相手役は誰だっただろう」

と思い出して、今やその相手役だった人の凄さに魅了されている。


華のあるなしで言えば菅田に軍配が上がると感じていた。しかしいぶし銀と言うほどの年齢ではないけれども、何作か観ていくと内側からの光が見えてくる。


俳優はミステリアスな雰囲気をまとい、ある種の狂気に似たものを持って演じる人たちだと思っている。松田優作、太地喜和子。今思いつくのは二人だけだけれど(何せ人の名前が思い出せない)、この人たちの凄みのある演技につながるものを池松壮亮は持っていると思った。


小栗旬や菅田将暉のような挑みかかるような目力ではない、暗く悲しみを帯びたようなそれでいて強い眼光。


今日は「金と銀」というドラマを見ていた。満足満足。本、それもフィクションが読めなくなった。脳の手術をしてから特に。腰が痛い、歩けない、肩が痛い、本は読めない。そんな日はテレビ。


海外のラブコメディーが、鬱々とした気分の時などはベストなのだが見つからない日は180度方向性を変えて重くて暗い気分の追いがつお、そこに池松壮亮。


植物で言えば苔、じゃがいもで言えばメイクイン、卵料理で言えばだし巻き卵。

追いがつおから変な方向に。ファンに叱られそう。失礼しました。とにかく素晴らしい俳優です。


あ、明日は訪問リハビリ。寝なくちゃ。