今日から

日々を綴る

これから

ここ十日ほど、YouTubeで人生相談をほとんど流しっぱなしにしていました。ラジオ番組を動画にしたものですから、見なくてもいい。ながら見ならぬながら聴き。


相談者は追い詰められて受話器をとっている。涙ながらに訴える。

或いは困っていることを相談しているはずなのに肩をそびやかせているように傲慢な話し方をする。怒って受話器を置く。ガチャン!すごいなあ。


回答者は叱る。励ます。呆れる。


濃い。ドロドロ。聴いていて、どうしてそんな運命がこの人に降りかかっているのだろうとホロリとさせられた話は2件だった。殆どの悩みが家族関係のものである。相談者が縷々話せば話すほどに結局自分が招いた、家族の成員として作り上げてしまった苦悩に思える。


本人のこれまでに帰っていく。そこを回答者は見逃さず、容赦なく叱る。馬鹿じゃないの?みたいに。


仕方ないですよ。馬鹿なんだもの。それを言ってくれる人が今までいなかったからこんなことになってる。


最近気付いたことがある。家族は他人の集まり。してやるだの、してくれないだの、何も期待しないでいると、その他人様から受けた思いがけない優しさに感動する。


このところの我が家のドラマ(しんどかったなあ)を再現するパワーは持ち合わせていないので省略ですが、おととい夫と買い物に行った時、夫がカゴに私の為にヨーグルト用のスプーンをいれていてくれたのが嬉しかった。他人ですから。

そんなとこです。


さてと、勉強させて貰った人生相談から卒業して、これから私はどこへ?

よく視聴していたメンタリストDaiGoは「危なっかしいなあ。大丈夫かな、この青年。」と思っていたら案の定馬脚を現し、炎上した。早晩消えて行くでしょう。

そうそう。たまたま昨日「人生フルーツ」という番組があったことを知りました。美しく老いるということを目の当たりにした思いです。


ネットの世界は有意義でもあり、胡散臭くもあり、便利でもあるけれど、少し離れよう。風を通さなければと思っています。

コロナが大変なことになっていますけど。