今日から

日々を綴る

遂に住処を 終のすみかを

今日、ケアマネさんと話した。


前回、あと何年かしたら施設に行こうと思っていると言ったら、彼女は驚いたような少し悲しいような声音で言ったものだ。「自宅で頑張りましょうよ」


この厄介な病は着実に進行していて、3年後にはどんなに頑張って運動して脳に働きかけてももう1段階介護度は上がるだろう。


今なら何とか動ける。考えもできる。

が、その先は?

70までは頑張れるだろうか、この家で。

その後の私の終のすみかを探さなければ。「この家で頑張る」とすれば担うのは夫。うーん、無理でしょう。

で今日、そんな風に前回と同じ思いを口にしたら

返って来たのは以下の言葉だった。


施設選びをするのは大概家族で、在宅介護が限界に至ったというタイミングが殆ど。

早く調べ始めるのが全く無駄だとは言えないが、どのような施設であれ、その施設の良し悪しを決定的にするのは施設長。トップがどんな采配を振るうか、どんな人格であるかにかかっている。上が良ければ下はうまく回るし、逆もまた真なり。


で、問題はこの業界は人がよく動くことで、入居した時点での施設長が10年いるとは限らないということ。

つまり体制が変われば、その施設は全く違う施設になってしまう。

高級であるかないかは、関係ありません。

ーーーだそうで、勿論それは彼女だけの持論のかも知れない。しかし、だとしたら、或いは15年入ることになることも予想される施設をどう探せばいい?


途方に暮れているうちに痴呆に行きつき、最早ことの判断も難しくなり、そうすれば否が応でも周りが動かざるを得なくなる訳だ。

もういっそこのまま漂ってしまおうかとも思う。

と思った途端に水に濡れた犬のように首を振る自分が見える。



出来る所までやってみよう。

それが間に合わなくても、無駄になってもいい(のではないかしら。ちょっと弱気)

ここでこんな風に終わりたいという思いのスケッチを描き始めた、ああ、昨日が母の命日。


母さん、頑張ります。