今日から

日々を綴る

記憶の引き出し

昨日、弟夫婦が遊びに来て、何の流れか50年ほど前の高校時代の月謝の納入方法の話になった。


弟は毎月事務室まで行って現金で支払い、学年の上履きの色がマーカーで引かれている月謝袋に受領印をもらって帰ってきていたと言い張る。金額まで覚えていて、譲らない。


女2人は、「全校生徒が一人一人窓口へ?毎月?」とあり得ないを主張。


帰宅した夫は、県立ではなく都立出身だが、窓口に行って受領書として半券を受け取り帰ったとあっさり言った。


男2人の記憶は実に具体的で、女2人はかけらも覚えていない。3年間毎月繰り返したはずの習慣を。


これはどうしたことか。記憶の引き出しが違うと片付けていいものか。

先日の認知症検査のこともあり、狼狽えた。


40年一緒に暮らしていて結局行き着くところは、男と女は違う生き物だと言う事でだ。


なんでこんなものとをと思う物を抱え込んで捨てないことに呆れながら、もはや諦めているが、記憶にも同様のことが言えるのだろうか。


いや単に個体差であり、捨ててもいいような記憶をたっぷりため込んだ女の人もいるんだろうなと思ったりもするが。


ん?捨ててもいいようなと言うのは他人からの見方であって、当人にとっては覚えておくべきことであったのかもしれない。


ん?でも高校時代の月謝納入方法は、するってえと覚えておくべきことだったのか、彼らにとって。


よし、こんなことは覚えているかと一矢報いようとしてもネタを思いつかないリスのお話。