今日から

日々を綴る

エール 戦闘場面

昨日の朝ドラを見終わった時、いや始まりから終わりまで、夫も私も一言も話さなかった。


戦後8年と10年で生まれ、勿論実体験としては戦争の悲惨を知らない。しかし、親の兄弟たちは何人も戦死しており、

母達の当時の苦衷を悲しみを聞いて育った。私の母は長兄をガダルカナルで次兄を帰還船の爆撃で失っている。


平成になって、観艦式のチケットを頂いたことがあり、母を誘うと物見遊山の雰囲気で軽く応じたので、二人で戦艦に乗った。

乗って暫くしても、私は母の様子が変わったことに気付かずにいた。


そして戦闘機による爆弾投下、戦艦に向かってくる複数の船団を見た時、私は戦争の一場面を想起し、足元からスッと冷えて行くのを感じたのだった。


母は

母は、

表情を硬くして船上でしゃがみ込んだままだった。母は自分の中で戦争は終わったと思って出掛け来たのか、或いは観艦式というものがどんなものであるか知らないで来てしまったのか、あの後何も言わなかったのでわからなかった。


ただ昨日わかったことがある。母はあの時戦争のフラッシュバックの中で怯えていたのだ。子供の頃味わった艦砲射撃の恐ろしさと、兄はこんな海に飲まれて死んだという悲しみの中にいたに違いない。

フラッシュバック。


昨日そんなことも思い、暫く言葉がなかったが、口を開いた夫曰く

「南方じゃないな」

「なんで?」

「針葉樹だもん。ジャングルが」

「そこ!?」


時に涙を浮かべているのを知っている。

わざとアホなことを言って、「さ、戻ろう」ということだろう。


座ったまま言葉を発しない私に、画面の方を見たまま、そんな言葉を口にする夫の感覚、いつもズレまくりだけれど、昨日はそうでもなかったかも。