毒親
毒親の定義が新聞に載っており、私と下の娘の関係を知る友人から「あなたはどれにも当てはまらないから無罪放免です」と手紙が来た。以下昨日送った返事です。
毒親無罪放免ありがとうございました。ですが、完全無罪とはいきません。親を捨てる子を育てたのはほかでもない私であるという事実は動きませんから。
娘が家を出て二年半経ちました。実刑二年、今仮出所中でどうかと自嘲しながら思っています。精神的な牢獄にいたことは確かで、もう考えることに疲れてしまいました。
反抗期がない子でした。お姉ちゃんの幼稚園のお遊戯会は大人が観ても単調で延々と続き、冗漫で工夫も何もありませんでした。
二歳の娘がため息をつきながらずっと持参した椅子に座っているビデオが残っています。
三つ子の魂といいますがその通りで、あの子はずっとため息をつきながら反抗することもなく、来てしまったように思えます。素直で愛らしかった。それが個性だと思い込んでしまったのですね。
アレルギーがひどく、生活上制限される部分が多くて、精神的な面も含めて神経質にならざるを得なかった。悔やまれます。
自分から興味の赴くままに突き進むということは見られず、あれはどうかこれは、と先に回って提示しました。
ですが自己弁護になりますが、断じて強制したことはありません。まあこれも私からすればどうするかいつも意志を確かめたと思っていても、娘の心中で「お母さんが言ったことはやった方がいいんだろうな」が「しなさい」に変わっていても不思議はありません。
そして私は私で、これまでの私と娘の全てが娘のいう「共依存」であると断罪されるのをただただ受け入れる訳にはいかなかったというのが正直なところです。
独立してからの娘はある天晴れで、一切の援助を拒みました。体が丈夫ではないので辛いこともあっただろうに、なにひとつ言ってこなかった。私は親に一方的に事実と異なる部分もあるメールを叩きつけてきたことに対して怒ったのであって、「逃げるんんじゃねえ。表へ出ろい」と食い下がり続けたのです。(そんな感情で泣きながら怒鳴ってる感じでした)
認める部分は認めているのであって、遅い反抗期であるけれども頑張っていることは分かるよと伝えたいのですが、それさえ拒否されています。
私と当初同じ立場をとっていた夫にはコンタクトがありますから、それを考えると私の対応の仕方に問題があったというのは否めません。仕方のないことです。
父親と母親では関わり方の度合いが違います。私は動揺から静観というそんなプロセスは辿れなかったということです。
折しも昨日、昨今の「毒親」ということが子供側から言われることに関してカウンセラーが書いた文章を読みました。今は「勘当」というやり方で親が子を切るのではなく、「毒親はいらない」と子が親を捨てる時代なのだということ。
そして
「自分が良かれと思ってい気持ちを脇において子供の
側から自分を見てみる視点を持つといい。ちょっと重かったかもな、と思えれば上出来です。
自分を責めたりしないことです」
と書かれていました。自分を責め続けた二年半でした。あなたにはいつも通りあまーく無罪放免して頂きましたし、褒められて育つ子のいや育つ婆さんでありますのでその言葉有り難く受け止め、もう自分を責めることから解き放たれたいと思います。
ありがとうございました。
追伸
敬老の日の今日、夫と私の連名宛で私の好物の葡萄が届きました。胸がいっぱいになっています。